米津玄師 馬と鹿 BPM(テンポ)
- 2019/08/30
- 10:32
BPM 91
米津玄師(よねづけんし) 馬と鹿(うまとしか)
緩やかに刻まれるミュートギターと柔らかくも力強いストリングスの音色が印象的なナンバー。
MVは、様々な動きをする人々と炎が特徴的。
シングルの1曲目と、アルバム「STRAY SHEEP(ストレイ シープ)」の6曲目に収録。
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【米津玄師】
【BPM91】
【邦楽アーティスト】
【BPM (テンポ)】
【音域】
【コード分析】
【全アーティスト目次】
馬と鹿(うまとしか) レビュー (TOPへ戻る)
簡易情報
作詞者 Kenshi Yonezu(米津玄師)
作曲者 Kenshi Yonezu(米津玄師)
リリース 2019年9月11日
時間4分45秒
タイアップ テレビドラマ「ノーサイドゲーム」主題歌
*ウィキペディア(Wikipedia)調べ
目次
これが愛じゃなければ、何と呼ぶのか
『ノーサイドゲーム』について
『馬と鹿』の意味
愛すべき馬鹿たち、愛すべき天才たち
痛みは消えないままでいい
これが愛じゃなければ、何と呼ぶのか
静寂。呼吸が止まる。キネマの如く、モノトーンな緊張感。
削ぎ落してひとつをしているからこそ、その音も色もない世界が生まれる感覚。
ストイックなまでに、馬鹿な程に積み上げた努力と、
考えの違う仲間たちと、それでもひとつを目標に汗と涙を流した過去を、
そして、これから分かち合うたったひとつの喜びの未来を、
その全てをこのひとつにかける瞬間がある。
全てを、このひとつにかける瞬間、そしてその一瞬が、報われた瞬間、
仲間や仇敵と抱き合って、名前を呼び、大きな歓声に包まれるその瞬間、
そのモノトーンだった景色が、一瞬にして鮮やかに戻る瞬間、
これが愛じゃなければ 何と呼ぶのか
僕は知らなかった
馬と鹿
これは傍から見たら、馬鹿や狂気だと言われる程に
真っ直ぐな情熱を捧げた者達が作り上げるひとつの美しさを、湛えた讃歌だ。
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『ノーサイドゲーム』について
この曲は、テレビドラマ「ノーサイドゲーム」の主題歌として使われる。
「ノーサイドゲーム」は池井戸 潤さんはサクセスストーリーが魅力的な作者である。
ノーサイドゲームは、左遷された男と弱小ラグビーチームが返咲く為の努力と、成功を描いた物語である。
あらすじとしては、
① 主人公、君嶋は中堅のサラリーマンで、幹部候補。お金が全て。
② しかし、上司によって彼は工場に左遷され、
ラグビー部・アストロズのゼネラルマネージャーを命じられる。
③ 君嶋はラグビーに関しては全くの素人であることに加えて、
アストロズもラグビー部解体の危機にある状況だった。
スポーツと仕事がテーマの熱いサクセスストーリーが展開される。
この『ノーサイドゲーム』の「ノーサイド」という単語だが、
第1話の冒頭で説明がある。
「ノーサイド」
命をかけて闘う男たちのラグビー、それがラグビー。
しかし試合が終わった瞬間、敵味方の概念はなくなり、
互いに健闘を称え合うラグビー精神のことを言う。
このノーサイドの意味を、米津玄師の呼ぶ『愛』の意味を、
ラグビー部での経験を通して、君嶋が理解していき、
人として成長していく過程も、この物語の魅力のように感じる。
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『馬と鹿』の意味
タイトルの『馬と鹿』だが、そのままの意味ならば『馬鹿』であっているだろう。
米津玄師でのLOSERでも「踊る阿呆に見る阿呆 我らそれを端から笑う阿呆」というフレーズがあったり、「負け犬」という単語があったり、と
世の中では否定的な言葉や、存在こそ、肯定して受け入れるという歌詞を描いている。
その為、この歌詞も『馬鹿』である彼らの行動を
『愛』と呼び、心からの肯定を示しているのだろうと推測できる。
また、「と」という言葉があることに関しては、
2点の予想が挙げられる。
① 馬鹿である自分と相手のことについて歌っている歌であること
② 馬と「しか」という言葉遊びにより、
たったひとつを追求する馬鹿なものの、狂気な一途さを暗喩している
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愛すべき馬鹿、愛すべき天才たち
馬鹿にも色々な意味がある。
ノーサイドゲームの世界観で伝えるのならば、ラグビー馬鹿。が多く描かれているのだろう。
普通の人間から見たら落ちぶれたラグビー部に所属しているよりも、
他のラグビー部に転籍することや、サラリーマンとしての勤務をした方が良いと考える。
しかし、彼らは自分達の情熱の為に、燃え尽きていない闘志を燃やして、
周りから言われる批判などさえも聞こえているのに聞こえていないフリをして、
毎日、毎日、過酷なトレーニングを積んでいるストイックなまでのラグビー馬鹿だろう。
彼らの馬鹿さは理解に苦しむものであり、理解出来ないところがあるかも知れない。
芸術でも、何においても一つのことに没頭する「天才」と呼ばれる「馬鹿」たちの思想は
理解が出来ない境地にあるのかも知れない。
しかし、その情熱を注いで、やっとのことで築き上げた一瞬は、
その会場にいる人、その中継を見ている人、全てに興奮と熱と感動を与える。
彼らの作り上げ世界は、どこまでも、美しく、『愛』と呼ぶに相応しい世界だ。
愛すべき馬鹿、という単語もある。
これは馬鹿な発言をすることが愛らしいという意味で多く使われるが、
この単語の意味を昇華するのならば、
誰に「馬鹿」だと言われても、自分が求めるひとつのことに、
情熱と、命と、人生、魂、全てを捧げた一途な狂気を持つ天才たち、という意味になるのではないだろうか。
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痛みは消えないままでいい
どんな痛みがあったとしても、どんなものを失ったとしても、
これを追求しないと、生き足りないと感じる。
命を燃やしても構わないとさえ思う天才たちの狂気が、馬鹿さが、
この一言に込められている。
そして、その一言が愚かだと思うものの、
どこまでも彼らがかけた想いや情熱が伝わってくるのだから
愛おしいの他に言い尽くす言葉が見つからないのだ。
written by さざの、
参考出典
ロッキング・オン・ジャパン 第33巻第10号通関512号
写真提供
fleurs_aideさんによる写真ACからの写真
Samponistaさんによる写真ACからの写真
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米津玄師(よねづけんし) 馬と鹿(うまとしか)
緩やかに刻まれるミュートギターと柔らかくも力強いストリングスの音色が印象的なナンバー。
MVは、様々な動きをする人々と炎が特徴的。
シングルの1曲目と、アルバム「STRAY SHEEP(ストレイ シープ)」の6曲目に収録。
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【米津玄師】
【BPM91】
【邦楽アーティスト】
【BPM (テンポ)】
【音域】
【コード分析】
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簡易情報
作詞者 Kenshi Yonezu(米津玄師)
作曲者 Kenshi Yonezu(米津玄師)
リリース 2019年9月11日
時間4分45秒
タイアップ テレビドラマ「ノーサイドゲーム」主題歌
*ウィキペディア(Wikipedia)調べ
目次
これが愛じゃなければ、何と呼ぶのか
『ノーサイドゲーム』について
『馬と鹿』の意味
愛すべき馬鹿たち、愛すべき天才たち
痛みは消えないままでいい
これが愛じゃなければ、何と呼ぶのか
静寂。呼吸が止まる。キネマの如く、モノトーンな緊張感。
削ぎ落してひとつをしているからこそ、その音も色もない世界が生まれる感覚。
ストイックなまでに、馬鹿な程に積み上げた努力と、
考えの違う仲間たちと、それでもひとつを目標に汗と涙を流した過去を、
そして、これから分かち合うたったひとつの喜びの未来を、
その全てをこのひとつにかける瞬間がある。
全てを、このひとつにかける瞬間、そしてその一瞬が、報われた瞬間、
仲間や仇敵と抱き合って、名前を呼び、大きな歓声に包まれるその瞬間、
そのモノトーンだった景色が、一瞬にして鮮やかに戻る瞬間、
これが愛じゃなければ 何と呼ぶのか
僕は知らなかった
馬と鹿
これは傍から見たら、馬鹿や狂気だと言われる程に
真っ直ぐな情熱を捧げた者達が作り上げるひとつの美しさを、湛えた讃歌だ。
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『ノーサイドゲーム』について
この曲は、テレビドラマ「ノーサイドゲーム」の主題歌として使われる。
「ノーサイドゲーム」は池井戸 潤さんはサクセスストーリーが魅力的な作者である。
ノーサイドゲームは、左遷された男と弱小ラグビーチームが返咲く為の努力と、成功を描いた物語である。
あらすじとしては、
① 主人公、君嶋は中堅のサラリーマンで、幹部候補。お金が全て。
② しかし、上司によって彼は工場に左遷され、
ラグビー部・アストロズのゼネラルマネージャーを命じられる。
③ 君嶋はラグビーに関しては全くの素人であることに加えて、
アストロズもラグビー部解体の危機にある状況だった。
スポーツと仕事がテーマの熱いサクセスストーリーが展開される。
この『ノーサイドゲーム』の「ノーサイド」という単語だが、
第1話の冒頭で説明がある。
「ノーサイド」
命をかけて闘う男たちのラグビー、それがラグビー。
しかし試合が終わった瞬間、敵味方の概念はなくなり、
互いに健闘を称え合うラグビー精神のことを言う。
このノーサイドの意味を、米津玄師の呼ぶ『愛』の意味を、
ラグビー部での経験を通して、君嶋が理解していき、
人として成長していく過程も、この物語の魅力のように感じる。
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『馬と鹿』の意味
タイトルの『馬と鹿』だが、そのままの意味ならば『馬鹿』であっているだろう。
米津玄師でのLOSERでも「踊る阿呆に見る阿呆 我らそれを端から笑う阿呆」というフレーズがあったり、「負け犬」という単語があったり、と
世の中では否定的な言葉や、存在こそ、肯定して受け入れるという歌詞を描いている。
その為、この歌詞も『馬鹿』である彼らの行動を
『愛』と呼び、心からの肯定を示しているのだろうと推測できる。
また、「と」という言葉があることに関しては、
2点の予想が挙げられる。
① 馬鹿である自分と相手のことについて歌っている歌であること
② 馬と「しか」という言葉遊びにより、
たったひとつを追求する馬鹿なものの、狂気な一途さを暗喩している
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愛すべき馬鹿、愛すべき天才たち
馬鹿にも色々な意味がある。
ノーサイドゲームの世界観で伝えるのならば、ラグビー馬鹿。が多く描かれているのだろう。
普通の人間から見たら落ちぶれたラグビー部に所属しているよりも、
他のラグビー部に転籍することや、サラリーマンとしての勤務をした方が良いと考える。
しかし、彼らは自分達の情熱の為に、燃え尽きていない闘志を燃やして、
周りから言われる批判などさえも聞こえているのに聞こえていないフリをして、
毎日、毎日、過酷なトレーニングを積んでいるストイックなまでのラグビー馬鹿だろう。
彼らの馬鹿さは理解に苦しむものであり、理解出来ないところがあるかも知れない。
芸術でも、何においても一つのことに没頭する「天才」と呼ばれる「馬鹿」たちの思想は
理解が出来ない境地にあるのかも知れない。
しかし、その情熱を注いで、やっとのことで築き上げた一瞬は、
その会場にいる人、その中継を見ている人、全てに興奮と熱と感動を与える。
彼らの作り上げ世界は、どこまでも、美しく、『愛』と呼ぶに相応しい世界だ。
愛すべき馬鹿、という単語もある。
これは馬鹿な発言をすることが愛らしいという意味で多く使われるが、
この単語の意味を昇華するのならば、
誰に「馬鹿」だと言われても、自分が求めるひとつのことに、
情熱と、命と、人生、魂、全てを捧げた一途な狂気を持つ天才たち、という意味になるのではないだろうか。
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痛みは消えないままでいい
どんな痛みがあったとしても、どんなものを失ったとしても、
これを追求しないと、生き足りないと感じる。
命を燃やしても構わないとさえ思う天才たちの狂気が、馬鹿さが、
この一言に込められている。
そして、その一言が愚かだと思うものの、
どこまでも彼らがかけた想いや情熱が伝わってくるのだから
愛おしいの他に言い尽くす言葉が見つからないのだ。
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Author:もこ
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